今年度の町内会の班長が輪番で廻ってきました。近所とは言っても、普段そうそう顔を合わせる事のない隣人宅を訪問し、町内会費や衛生薬剤費、寄付金を集める事、月2回の市政だよりを配布する事、回覧物の振り分け等やらなければいけない事は、けっこうあります。仕事が立込んだり、用事が重なった時には『隣の御主人の様な、仕事してない人がやればいいんだ!』と思います。各家庭の家族構成や状況によって、訪問できる時間帯も異なり、二度手間、三度手間になる事もあります。『どういう家なんだ!』とさらに勝手に憤慨し、『なんで一度に片付く仕組みを作らなかったんだ!』と過去の班長のやり方を批判し、自治会長を恨みます。昨年度末、地区集会所で会計帳簿や過去の記録を受け取り、前任者との引き継会の場で、自治会長からの地域の助け合い、互助の意義などの話を聞き納得し、しっかりやろうと思い、尚且つ13年前に過去の班長の一人だった私なのにです...
最近、NHKテレビで『不寛容な社会』という番組がありました。熊本地震後のインターネット上での不謹慎狩りや、週刊誌報道をきっかけとしたタレントへの集中バッシング等、相容れない主張を発信し、批判という行為自体が正義だと勘違いしている社会を不寛容と言っています。相手を叩きのめす事だけに気持ちが行き、どうしたら良くなるのかを考えていない状況にあるという事です。改善策や提案を出し、時には譲る事や我慢の気持ちで、全体を考える寛容さが無くなっているのです。町内のことで目くじらを立てている私自身がそうです。評論家になるよりも、いま感じた不都合を次の人の為に少しでもスムーズに出来る様に、どう改善するかを考えたり、良い意見を吸上げたりの行動を粛々とすすめる事が大切だと感じました。リーダーや世の中を批判しても何も始まりません。あるセミナーで教わった『良きリーダーは、良き構成員がつくる』を思い出し、反省しながら、円滑な組織運営を進めていかなければと考えさせられました。